こんにちは。鶴田京子です。いつもブログをお読みいただきありがとうございます。このブログでは、ヨガ瞑想、スピリチュアルの知恵を日常に生かす方法をお届けします。
小学校の給食の時間が終わっても、食べ終えることができずに、掃除の時間になっても、後ろに机を下げられた状態で、ずっと給食を食べている。そしてやっと食べ終えて、一人で遠くの場所に食器を返しに行く。
お友達が朝家に迎えに来ても、動作が遅くて、準備が進まず、ずっと待ち続ける友達に、母が「うちの子はいつも遅くてごめんね」と謝る。
先生という立場になっても、何か最後に忘れ物をしたり、うっかりミスがあって、生徒さんがフォローしてくれて、「先生は、いつも詰めが甘い!」と生徒に叱られる。
「お肉食べに連れて行ってあげる。何のお肉が好き?」と聞かれて「どの部位が好きってことですか?」と聞いて、天然ボケの認定を受ける。
大学院のゼミで、担当教授に意見を求められるも、トンチンカンなことを言って「あなたは能天気な人ね〜」と返す先生に、みんなが笑う。
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これ、実は、全部私(Kyoko)の話です。
私は、今皆さんからどうみられているか分かりませんが、「しっかり者」とか「左脳派」とみられる時があります。
でも、実は全然違って、昔は、「天然ボケ」の「ゆるキャラ」タイプでした。
食べるのも遅いし、話すのも遅いし、話はズレてるし、トンチンカンなことを言うし、おっちょこちょいだし。「へーすごーい!」と何でも信じてしまう、単純な性格。
そんな私を、先輩たちは「君、面白いね!」と可愛がってくれましたが、ほんの1〜3名の人に、叱られたり、「変わらなきゃダメ!」と言われて、自分を頑張って変えてきました。
大学院に入ったら、「もっと論理的にならないと」「もっと批判的視点を持たないと」と自分を奮い立たせ、ロジカルシンキング、クリティカルシンキングを身につけてきました。
だから、それ以降は、私の「右脳左脳テスト」をした友人が、私が右脳右脳型だと知って、「うっそー!ぜったい嘘!」と言ったほどです。
それくらい、私は左脳型人間だとみられていたということでしょう。
私は、自分の天然ボケなゆるキャラでは、成功できない、と思って、頑張って生きてきました。
自分らしさとは真逆に突っ走ってきました。
夫のメイエルと結婚したら、実は彼も、昔の私、失った私のように、天然ボケのゆるキャラでした。
でも、過去のそんな自分を変えることが正義だと思い込んでいた私は、彼に対しても何度も何度も矯正しようと、変えようとしてきたのです。
私の両親も、メイエルも、私に対しては、「すでに京子はそのままで素晴らしい、そのままでいいよ、何も変わらないでいいよ」とずーーーっと言い続けてきてくれました。
でも私一人が、自分に対して、こんな自分じゃダメ、と潜在意識にむか〜し、むか〜し、どこの誰だか今はわからなくなってしまった、一人か二人かに言われた言葉の呪いにかかっていたのです。
メイエルは私が、「これ変えた方がいいかな?」と何か言うたびに、それが何であっても「変えなくていい」「そのままでいい」といつも一貫しています。
でも私はいつも、彼に「こうしなきゃダメ!日本はこうなんだから!」とか「もっとこれをしなきゃ、これ食べなきゃ、これ変えなきゃ!」と彼を変えようとしてきたのです。
私がどんなに怒っても、どんなに変化しても、彼は「どんな時も、君への愛は変わらない。どんなに怒っている時も、喧嘩した時も、ずーっと、いつも愛してるよ」と言ってくれます。
「太っても、年取っても、変な服をきていても、僕の愛は変わらない」と。
そうして、無条件の愛とはどういうものなのかを教えてくれたのです。
私は、潔癖症のようなところがあり、「これをしたから、こんなことを言ったから、この人嫌い、もう連絡しない」とちょっとしたことで許せなかったり、人間関係を切ってしまっていました。
しかし、彼は、相手が泥棒であろうと、実家にくればお茶を出すような家で育ってきたのです(実際に私も現場にいて見ました)
過去に殺人を犯した人でも、すっかり忘れて話をして連絡先を交換したり、私が「そういえば、前、殺人した人がいたって言ってたけど、どこの家の人だっけ?」と聞いて、「あ、忘れてた、さっき会った男の子だよ」と、そんな具合なのです。
彼は、悪く言えば頑固なので、自分を変えようとしません。だから、今も昔も、ずっと、天然、ゆるキャラのままです。
私は、天然ゆるキャラのままでも、どこにいっても人に愛されている夫を見ると、自分も変わらなくてもよかったのかもしれないなあと、時々思うことがありました。
でも、先日、ふと気づいてびっくりしたのです!
私たちが、最近新しいコンセプトにして、この新しいサイトを作りましたが、
「Effortless Nature」
実は、「天然ボケのゆるキャラ」という意味でも捉えられるじゃないですか!?
Effortless (ゆるい)、Nature(天然)ですもの。
それに気づいて、早速メイエルに伝えてみると、
「ずーーっと君の中に、何年も経っても、あったんだね。待ってたんだね」
と言いました。
いつも話の返しがズレていて、トンチンカンなメイエルで、何度も繰り返し説明しないと分からない時が多いのですが、
不思議と、こういう本質的な話は、直感的にすぐに伝わるようで、的確で、魂にふれるような答えが、いつも返ってきます。
「だからね、僕の地元にはこんな言葉があるんだ。近くの神より遠くの悪魔って言葉」
「何それ?遠くの親戚より近くの他人みたいな日本の言葉に似ているけど・・」
「その言葉もあるよ。でもこれは違う。この意味はね、君のご両親や、僕が、君にずっと、そのままでいいよ、変わらなくていいよ、と言い続けてきた、これが神様でしょ。遠くの悪魔というのは、君に、今の君じゃダメだ、変わらなきゃダメ!と言った、今はもう誰か分からない遠くの人のこと」
こんな話をしてくれました。
みなさんから、私たちはどういうふうに見られているか分かりませんが、これからも「天然、ゆるキャラ」の私たちをどうぞよろしくお願いします。
そう、もう一つ付け加えるとね、こんな性格だから、瞑想の先生が私たちぴったりだった。
瞑想の誘導って、すごくゆっくり、ゆったりしている方がいいでしょ?
私にとって、このゆーっくり話す、ゆーっくりのテンポ、ゆる〜い感じが、自分の素のままでいけるから、とても楽なのです。
そう、自分にとって、楽で、そのままでいけることが、エフォートレス。
エフォートレスでいられる仕事をするのが、一番自分がハッピーでいられるんです。