こんにちは。鶴田京子です。いつもブログをお読みいただきありがとうございます。このブログでは、ヨガ瞑想、スピリチュアルの知恵を日常に生かす方法をお届けします。
今日は、瞑想の種類について、瞑想歴33年の経験から解説してみます。
瞑想法の名前をあげると、無数にあるので、それよりも、系統に分類してみると分かりやすいかなと思います。
瞑想法の名前というのは、結局、この5分類から1つ、もしくは2、3つ合わせて、主宰者が名前をつけ、他と区別しているだけなので、多過ぎる瞑想法の名前を追いかけるより、この5分類でスッキリしましょう。
瞑想の種類 5分類
イメージ系、集中系、観察系、気づき系、何もしない系の5つ。あくまで、私の経験上の分類です。
具体的に説明します。
① イメージ系・・・引き寄せの法則や、ブロック解除、インナーチャイルド系によく使われる。夢が実現したシーン、ブロックが外れたイメージ、内なる子供が癒されたイメージなど、イメージを使う系の瞑想。光や、特定の神、天使、守護霊、色などをイメージする場合もある。私の講座では、チャクラ瞑想講座。また、Awaken Your Divine Self講座の4ステップのうちの1ステップ目のお祈りがこれにあたる。
② 集中系・・・ロウソクの炎、特定の神聖な文字、マントラ、呼吸、何かの対象物に一点集中する瞑想。ヨガで視点を固定するのもこれに入る。私の講座では、ヨガ講座、マントラ講座がこれにあたる。また、Awaken Your Divine Self講座の4ステップのうちの2ステップ目のヨガがこれにあたる。
③ 観察系・・・体感覚や呼吸を観察する。座ったまま観察することもあれば、歩きながら足裏や体の動きを観察することも。ヴィパッサナー瞑想、ウォーキングメディテーション。私の講座では、瞑想の前段階で、準備として取り入れている。
④ 気づき系・・・真我探究系。観察者、誰が気づいているのか?気づきの主は誰か?私は誰か?ラマナマハリシの真我探究(アートマヴィチャーラ)や、非二元がこれにあたる。私がインドで5年修行のうちの最初の4年間、ラマナマハリシのアシュラムに毎日通ってやっていたのがこれ。
⑤ 何もしない系・・・イメージも、集中も、観察も、気づきもしない、マインドに何もさせない。何もしないとは怠けることではない。体は怠けていても頭の中が多忙な人がいる。過去の講座では、Awaken Your Divine Self講座の4ステップ目の秘技がこれにあたる。また私たちのこれからお伝えしていくEffortless Natureの瞑想のメインも、この何もしない系が中心となる。
瞑想初心者から、数年〜数十年の過程
瞑想を始めたてやスピリチュアル初心者がよくやっているのが、①のイメージ系。
もう少し、いろいろ手を出し始めると、②③のやり方で、数年すぎる。
そして、かなり深くはまっていくと、④あたりのやり方を知る機会が訪れてやってみる。でもなかなか難しくて挫折するか、何年も頑張ってやり続ける。
①〜④ のいずれかで、数年、数十年が過ぎて、諦め、お手上げ状態になると、⑤の段階に来る。
といった感じです。
中には、いきなり、⑤の価値に気づく方もいらっしゃるかもしれないですね。
何もしないことの価値
私は一番大切だけど、一番盲点になっているのが、この5つめの何もしない系だと思います。
なぜなら、私たちは、何かを「する」ことに価値を置きすぎているから。
今日は何もしなかった・・・価値のない1日だった・・・無駄だった・・・自分の人生は虚しい、自分には価値がない。
とか。
逆に、
私は今日、こんなにたくさんのことができた・・・達成感・・・人生が充実している・・・私は価値があると感じられる。
とか。
「する」ことに価値が置かれ過ぎるあまり、「何もしない」ことの価値が、見逃されているのです。
瞑想を頑張ることで逆効果になる、越えられない壁
瞑想にどんなことを求めるか、人によって違うと思いますので、軽いリラクゼーションや、ストレス発散が目的なら①〜③の瞑想で、大丈夫です。
もし、マインドを超越した深い瞑想をしたいなら、⑤の瞑想がいいと思います。
瞑想で、何かを「しよう」としている、①〜④の間は、マインドに仕事をさせすぎている状態です。
「イメージして!集中して!観察して!気づいて!」と。
マインドが頑張って働いている間は、マインドがマインドを制している状態に過ぎず、「マインドを超越する」ことはできません。
瞑想を長く続けていくと、その「矛盾」に気づいて、袋小路になった気持ちになられると思います。
やっていること自体が、その目的の邪魔をするという矛盾です。
やっていることでは、ある程度のところ、つまり、軽いリラクゼーションとか、ストレス発散程度までしか行けない。
できないから、さらに必死にやる。そして、さらにできない、という悪循環です。
私も、その期間に陥っていた時、「じゃあ、一体どうしたらいいのだろう?」と疑問を持ち続けていました。
全部やって、やり尽くして、うまくいかない。もうダメだ。お手上げだ。何もしない。やーめた。
そこまでいくと、やっと⑤段階に来ます。
まだ何か必死でやろう、つかみとろう、達成しようなどとしているときは、①〜④の段階の瞑想を頑張っているでしょう。
何もしない、あきらめる、サレンダーすると、どうなる?
例えば、
浄土真宗の親鸞聖人も、小さい頃からの必死の修行で、結局、自分は悟れないと、お手上げ状態になったところからスタートし、今では日本最大の宗派となっています。他力。インドのヨガでいうところの、「バクティヨガ」です。
インドのマハーバーラタの話でも、ドラウパディーという女性が、もう完全に諦めて、ゆだねます、と言った時に、クリシュナ神が、天からとめどなく、布をおろす、という有名なシーンがあります。
私の好きな『サレンダー』という本の中でも、マインドの指示を聞かず、起こることに任せてサレンダー(ゆだねて)していったら、思いもしなかったような人生が展開した(元々は森で瞑想をしていただけなのに、IT企業の社長になったり)という話もあります。
かといって、①〜④の段階の瞑想法が必要ないとか、価値がないということではないです。
①〜④の段階の瞑想法をやっていないと、今日の話も、ちんぷんかんかもしれませんし、価値を感じないかもしれません。
①〜④の段階の瞑想法は、瞑想を「やった感」があるので、初心者には、「瞑想している!」という感覚を持ちやすいですね。
⑤の瞑想は、①〜④の段階の瞑想法をやって、限界を感じた頃に価値が分かるでしょう。
個々人の段階、というのがあるため、今、この生徒に必要なのは、どの瞑想法なのか?ということを見極めることが必要だと思っています。